mosblog

自由奔放なこのブログが一瞬でも役に立てば幸栄です

私の時間というものは存在しない。「日々の時間」が大事っていう考え方

多くの自己啓発本を見た結果

f:id:mosblog:20181216091849j:plain
今までたくさんの自己啓発本を見てきた。
しかし、多くの本は私に一時的なモチベーションアップや小手先のテクニックを与えたが
そのようなモチベーションは長続きせず、小手先のテクニックのその場しのぎのものに過ぎなかった。
これは私自身が未熟で半端者であるということが大きい理由ではあるが、
人間の基礎力のようなものを成長させる上で必要なものって根本的に自己啓発本に書かれているようなことではない気がした。

格闘家が格闘技を通して自分の人生を考えるように
プロ野球選手が野球を通して自分の信念を構築するように

私もまた一応プロの営業マンであるので営業活動を通して人生を作ってきた。

昔から、一番すごい営業マンは布教活動をする「宣教師」だと思っていた私は、
宗教に強い興味がある。私自身は無宗教のつもりであるが、学びたいと思っている。

人はどのように考え方を変化させるのか?

これを最も得意とするのが宣教師であり、またこれを生涯の自分の使命だと
考えているのが宣教師だとすれば、彼らに勝てる営業マンはいない。

また、人間の根っことはどういったもので、何をどのように自分を変化させれば
自分は良い人生を送ることができるのか。これも宗教に深い関わりのある問いとなっているように思えた。

このような根本的な問いに答える自己啓発本は数少ない。
また、それが書かれていたとしても実践するのはさらに難しいものだ。

どれも当たり前に思えるような小さいことの積み重ねになってることがほとんどで、
考えて見れば当然のことしか言っていないようにも思える。見る角度によっては「くだらない」ことだ。

挨拶をしよう。
笑顔でマイナスに考えず前向きに
謙虚になれ
自分がされて嫌なことはするな

などなど

分厚い本に書かれていることでも要約すると基本的なお母さんに習うようなことが書かれてある。

結局一番重要なのは

「日々の心がけ」

「1日を自分なりに一生懸命に生き抜く」

こういったことだと学んだ。30代後半にしてやっと私は理解した。

仕事についての価値観もそこまで難しいことはなく、

昔から「仕事」というものはある。

奴隷は商品として扱われ一日中所有物として機械のように働かされてきたし
戦国時代は君主を変えることは命がけであり、信用に値しない人間のやることであった。
今の時代になれば、仕事は自由に自分で変えることができ、仕事を作ることだって簡単になった。

しかし、私は本質的には昔と今の仕事の在り方は何も変わっていないのだと思っている。

相変わらず奴隷のような働き方をさせる会社もある
失敗すれば命がどうかはともかく社会的な信用を大きく落とすような仕事もあり、
仕事がなくなれば死なないまでも、生きているという状態とはちょっと言い難い状況になる。

現在は生き方も仕事も多様化されていて、本質が見えづらくなっているけども
基本的に「人間」はあまり変化していない。
だからこそ、どのような人間がどのような生き方をして死んでいったのかを
年月かけて目を通すことでなんとなく見えてくるものがある。

庶民の時間の使い方

多くの、、、庶民と呼ばれているいわゆる「普通の人達」というのは
人生の多くは

「仕事」「食事」「睡眠」

この3要素から成り立っている。

この時間を自分の人生から引いてみてほしい。
どれくらいの時間が残されているだろうか?

学生であれば、起きて用意して学校行って帰ってきて、部活があれば部活をし、
家に帰って勉強をしている時間。これが「仕事」に値する。

社会人であれば、起きて用意して会社行って帰ってきて、スーツや作業着を脱ぎ
フリーになる時間。ここまでが「仕事」。

そう考えた時

私は7時に起きて準備し、夜8時か9時に帰ってきて食事をすると
すでに夜の10時になる。

お給料を貰っている間の時間というのは「私の時間」ではない。
労働力を提供して働いているわけなので、それは雇用主の時間だと気づく。

また、雇用主に時間を提供する準備をする時間というものがある。
歯を磨いたり、スーツに着替える。車のエンジンをかけるのもそうだ。
通勤時間もそうだろう。

「私の時間」などない

このように考えていくと

私の時間はどこにあるのか?

睡眠や食事もある程度はコントロールできるとしても
人間は睡眠とらないと死ぬ。
人間は食事をとらないと死ぬ。


よって、これは私の時間ではなく人間として必要な時間ではないのか?

私の24時間からこれらを引いていくと
私の時間は、平日はせいぜい2~3時間であることに気付く。少ない日は1時間満たない。


では、この数時間の「私の時間」

あなただったら何に使っているのか?

私は趣味のギター、ゲームをやったり、映画を見たりするだろう。

または、子供と遊んだり、妻の愚痴を聞いたり
家族に時間を割くこともあるだろう。

少ない私の時間を利用して友人と遊んだりすることもあるだろう。

これはなぜか?

日頃のストレス解消
惰性でなんとなくやっている。
仕事の疲れを癒すためにやっている。


仕事が休みになれば

買い物したり
母の家に行って面倒をみたり
子供と一緒に遊んだり

自分の思った時間を過ごし、また仕事に行く。

このような日々を送っているうちに思うことは


実は「私の時間」って、存在していないのではないか?

ってこと。

もし、「仕事」がなくなったら

私はゲームをずっとやるだろうか?
家族とひたすら過ごすだろうか?
友人と遊びまくるのだろうか?

もしかして、仕事があるからこのような時間を楽しむことができ、
このような時間を楽しむからこそ辛い仕事に耐えることができているのか?

そのように考えた時
なんか自分の中の考え方というかいろんなもの言葉の捉え方が変わっていった気がする。

何かをしたいと思った時、
より良い習慣を身に着けたいと思った時、

「自分の時間」でやろうとしてはいけない。

全て、、、全て!日々の生きている時間で行うべきだ。

ということに気付いた。

自分の時間なんてものは実は一切なく、自分の動きはほとんど日々の行動によって
制限されており、そこから出ようと思っても惰性の引力によって自分を変化させることが
できなくなっている。

「日々の時間」この所作が重要

だから気を付けるべき時間

自分をより良いものに成長させたいと考えた時
重要なのは

トイレに入っている時であり
歯磨きしている時であり
仕事している時であり
ご飯を食べている時である。

つまり、「日々の一つ一つの所作」これに気を払うべきなんじゃないかって気付いた。
ここを適当にする人間が、どんなにモチベーションうんぬん、スキルアップうんぬん言ったところで
自分の人生そのものをより良いものに変化することはできないのだろうと考えた。

行動に気を払うのもそうであるが
心の持ち方も日々、気を使うべきだ。

感謝すべきときに感謝をし、敬意を払うべきときに払う。
トイレに入っている時すらも謙虚になり、自分の心がけをキチっとする。

このような、小さな小さな1つ1つの行動、心の持ちようによって
人は変化し、より良い自分が目指す人間になっていくのだと思う。

これはわかっていてもできるものではない。

なぜか?

あなた(私)が心の底から「そうだ!」と思っていないからだ。

小学生でもどのような人間が素晴らしいとされているかくらい
実はわかっているのではないだろうか?

本当は本なんか見なくたってみんなわかっているはずなんだ。

ただ、できないから本を読む。読んでもなお、できない。

それは「あなたがそれを本当に良いと思っていない」からだ。

ここを強制するために

親が厳しく叱ったり、学校で先生に激怒されたりして恐怖で
無理矢理そのような振舞いをすることもあるが

自発的にやるのは大人でも難しい。

毎朝必ず早起きしてトイレ掃除しよう。

なんて思っても続かないのは
それが何よりも重要だとは思わないからだ。


だからできない。


これに打ち勝つにはどうしたらいいか。

あなた(私)にとって
やった方が良いことが本当に重要であり
それは仕事より重要であるとある種洗脳する必要がある。

自分で自分を洗脳する作業が自分を変化するためには必要だということ。
もう自分で自分をコントロールするためにはこれしかない。

あなたの持っている「価値観」を変えていく以外
あなたの行動は変化しない。

そしてあなたの心の持ちようも変化しないってこと。

トイレ掃除が自分にとって良いことだと思うなら

トイレ掃除が睡眠よりも食事よりも仕事よりも重要だと
本当に感じる必要がある。

それをやらなければ始まらないくらいの考えにチェンジさせて
やっとそれが行動になるってこと。


これはすごく難しいし、ある意味他人から見て一般的には気持ち悪いことだ。
洗脳とかマインドコントロールという言葉はあまり良い言葉ではないからだ。

しかし、必ず必要になる。自分を変化させようと思ったら従来の自分を捨てて新しい自分に塗り替える必要がある。

他人から言われてそれをやってはいけない。

だからたくさん悩むべきだ

「それが本当に自分にとって良いことなのか?」

と、考えに考え抜き、どうか考えても良いことだと判断したら
価値観をスイッチすべきだ。


まず、自分にとって良いことをリストアップしてみよう。

それができたらそれを覚えよう。

覚えたら、「やろうかなって思った時にやる」

これがとても大事だ。

3日で挫折したっていい。
また半年後くらいに「やりたいな。やるべきだな」って思ったら
その時点でまたやろう。

「やらないよりマシ」「明日やる」って言うなら「やらない」って言え!!

私が一番強く言いたいことは

「やらないよりはマシだ!」

ってことだ。

あなたが必死に考えてこれをやろうって思った「良い行い、良い習慣」

1度もやらなければ、1度もやらない人生が待っている。未来に。
もし、1度やれば、1度良い行いを実行した人生が待っているんだ。

だから重ねて言いたい。だらしがなく、何も長続きしない自分に。


「やらないよりマシだ!」「思った時にすぐやろう!」

過ぎた1日は戻ってこない。

「明日やる」

っていうくらいなら、「やらない」って言え。
どうせやらない。