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自由奔放なこのブログが一瞬でも役に立てば幸栄です

オンラインサロンってどうよ?

オンラインサロンってどうなのかな。
昔から知ってたけど、最近妙に興味が沸いてきた。

でもあれってキンコン西野さんだったりホリエモンだったり
カリスマ的な人が集まるファンクラブみたいなものなんだよね。

またはともに学び合って成長してようみたいな。

そんなんは別に興味ない。

なんかネット上だけで完結するような長く集まれる場がほしいと最近思う。

イメージはオンラインゲームでMMORPGとかやったときの

「ギルド」または「クラン」みたいなチームのイメージ

みんなで他愛もない話しして
時には悩みを言い合ったり、わからないことを相談してみたり・・・。

でもゲーム内のチームでは

そのゲームに飽きてしまったり、やめてしまった時点でその人間関係ごと
なくなってしまうんだよね。

それが残念でならない。

この人間関係は本当は保っていきたいけどそうはいかない。
やっぱり目的が違ってきてしまうからいずれ疎遠になっちゃうんだよな。

面白い動画教え合ったり
こんなことあったよみたいな世間話しが気軽にできる人が
ネット上にいてくれたらすごく精神的に助かるんだけどな。

仕事は忙しいし、友人は年に数回飲みに行くくらいだし
仕事仲間はあくまで仕事の仲間だし

趣味のコミュニティは趣味のコミュニティとしてあるけれども
そうじゃなく

芸人同士で目的なく集まっている家みたいな
ヤンキーが誰かの家で集まって適当な話しをしているような

そんなふきだまり的なコミュニティがあればなぁ。

ツイッターは誰が見てるかわからないし
ラインはうざいし
オフ会とか興味ないし
2ちゃんとかもどの立場の人が話しているかさっぱりだし

近況をブログで書くっていっても下手なことは書けないし

意外とくだらない話しをする場所ってないんだよね。

そもそも子育てと仕事、親の介護で忙しいからほんとちょっとしたとき
にチラっとみて返信してOK。特になにもないときはシカトみたいな関係がいい。

とりあえず目的はないけど集まってみました。
さぁ、何しよう?みたいな集いができれば最高なんだけどなぁ。

気付けば年齢もあるだろうけど周りには利害関係のありそうな仲間と
年に数回会って近況報告する友達
趣味を語り合う仲間

くらいしかいない。

それで充分なんだけど、もう一つ身近に愚痴や相談を聞いてくれるような
軽く受け流してくれるような仲間がいればちょっとは楽になるというか
精神的に弱った時に救われるような気がしてる。


ネット上だけの友人

限りなく緩く軽い人間関係がほしい。

モチベーションがどうとか成長がどうとか
どうでもよくて

利害関係のない。全然違うジャンルの人達が集まっている感じがいいな

20代の頃、ゲームがキッカケでマイクロソフトのチャットか何かで
毎日ように話していた奴がいて、昨日髪を切ってきたとか
明日、学校の試験だとか他愛もない話しをしていたが、1年くらい
話しているうちに自分の中では親友みたいになっていった。
相手は高校生くらいだったような気がする。

あいつ元気にしてるかなぁ・・・。とかいまだに思うことがある。

なかなかリアルでは言えないことも気軽に言えるし、
自分ではキモいなぁと思っていることでも容易く話すことができる
人間関係っていいよね。

お互いネット上でのニックネームだったし、会うこともなかったから
気楽だったし、でも年数いるから大体こんな人だというのは把握できてたし。

これは今考えても特別な人間関係だったと言えるし、とても最高だった。

人は目的なしでは集まらないものなのかな。

もっとゆるーく適当に笑って何も考えず
会話する場があってもいいなと思った。

よし!オンラインサロン作ろうかなw

ねぇ、どうして私が生まれたの?

この子供の疑問にどのように答えるべきか?

「ねぇ、どうして私が生まれたの?」

なるほど、いい質問だ!

しかし、小学生になるかならないかの子供にどのようにしてそれを教えるべきか?

それは・・・。

コウノトリが運んできたんだよ
②神様がくれたんだよ
③天から降ってきたんだよ


うん、なんか違うな


嘘はよくない嘘は・・・。


いいかい、それはとても難しい問題だ。男の人と女の人が愛し合うと子供ができるんだ。
パパとママが愛し合った結果、子供ができた。それがあなたなんだよ。

今はわからないかもしれないけど、13歳くらいになる頃にはきっとわかるようになるよ。
もしかしたら学校の授業で習うかもしれないし、友達同士でそのことについて話し合うようになるかもしれない。
でもこれはとても難しい問題なんだ。

どのようにして生まれるかはいずれわかるようになると思うよ。

私はあなたが生まれてきたことにとても感謝しているし、有難いことだと思っているよ。


「へぇー」

これは難しい問題だからもし、パパと違うことを言っている友達がいたとしても
「違うよ!男と女が愛し合ったから子供が生まれるんだよ!」
とは言わないでほしい。

これにはいろんな考え方があるんだ。
考え方は人それぞれだからね。パパはそう思ってるってだけ。

きっとわかる日が来るからそれまで楽しみにして待っているといいよ





・・・。


本当に子供の素朴な疑問というものに答えるのは難しい。
しかし、嘘を教えるのもちょっとアレなのでできるだけ真実に近い形のことを
言ってあげたい。

しかし、男性である私が女性である小学校も行っていない子供に真実を言うのがいかがなものか。

悩ましいことではあるが、こういった繊細な問題を持つ子供に向き合う時間こそ
大切な時間だなだと思う。

向き合った時間の数だけ思い出に残るものだ。

私もそうだったように

自分の場合は男性だったので母から
エッチしたら生まれるんだよ!とガサツに教わったような気がする。
避妊の重要性を常に言っていたような・・・。

うん、忘れよう。

価値は思い込み、気のせい気のせい

価値=思い込み

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価値は思い込み


価値があると思えば価値がある。

価値がないと思えば価値がない。



人間の命の価値
愛の価値
人生の価値
物の価値
人間としての価値



気のせい気のせい。


価値は思い込み。


どれだけ大事か

どれだけ重要か


いろんな人の
いろんな物の


価値を知ることで


いろんな人の価値を知ることができる


でも

自分が何を大事に思うか


これは1人しかわからない。


価値は信じる心


価値があると思えば価値がでる

価値がないと思えば価値はない。


他人の価値に惑わされないよう

価値の高い物を価値があるとは思わないよう


気のせい気のせい。


自分が価値があると思ったものが

1番大切。


価値が分かれば生き方がわかる。


でも、きっとそれは気のせい。



価値は思い込み



有り難いこと

命=時間

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命はとても重要なもの


「命」

①息を吸って吐く、どちらかができなくなると命はなくなる
②寝ることができないと命はなくなる
③ご飯を食べないと命はなくなる
④病気になったり事故に会うと命がなくなる


命があるのは生きているということ


いつなくなってもおかしくない


命は奇跡の連続


有難いこと



命は時間。



自分にもらった時間がなくなると、命はなくなる。


いつなくなるかはわからない。



でも、必ず時間はなくなる。


生まれて、いつか命は必ずなくなる。


何をするかは自分次第


時間を大事にしよう。


それは命だから。


たまには時間を忘れて楽しもう。


それは重要なものだから。


時間を大切に


命を大切に


生きていること



そのものが奇跡



有り難いこと。

子供にスマホは悪なのか?

子供にスマホを与えて動画を見せている親が多い。

かくいう私は、娘に思いっきりタブレットを娘専用に与えている。
完全に賛否両論あると思う話題ではあるが、

私の子供に時代では

「子供にゲームは悪か?」

ファミコンスーパーファミコン全盛期世代の私としては、
思いっきり親に買い与えられて一日中ゲームばかりしていた記憶がある。

しかし、私は社会人になることができ、働いている。
勉強は大したしてこなかったし、立派な大人になったかは定かではないが、
生活し、家族を持ち、生きている。

そのため、私の意見としては
子供にスマホタブレットを見せても全然良いというタイプではあるが、
現在の流れはスマホやゲームを時間を決めてやるなら良いというのが
一般的な意見だと思う。

ウチの子はまだ小学生にもなっていないが、
すでにマインクラフトを遊んでおり、ダウンロードやインストールといった単語はもちろん
自分で日本語ポチポチしてわからないことをグーグルで検索し、youtubeでマイクラの攻略動画を見て
お城を作ったりしている。

これは、スマホタブレット禁止の子供はできない技術である。

私はわからない。

このことがどのように子供の影響に関わっているのか?
悪いことなのか?良いことなのか・・・。

私今後はPCも与え、小学校一年生までにはローマ字を覚えさせ
ブラインドタッチできるくらいのレベルにはしたいと思っている。

私は中学校2年でブラインドタッチを独学で覚えたが、ゲームがやりたい。
ゲームをやっている人達とチャットや音声で会話したいという強い動機があれば
これらは簡単に子供のうちであれば習得できる。

常に変なサイトや危険なことをしていないか子供を監視する必要はあるが、
これら電子機器に触れさせることは悪いことではないと信じたい。

昔、子供の頃
一日中 日が暮れるまで「おはじきやメンコ」をして遊んでいた子供
一日中 ゲームを寝る寸前までやっていた子供
一日中 タブレットスマホで動画やゲームをしている子供

いつの時代も大して変わらないと思うんだけどなぁ。

遊ぶものが変化しただけに過ぎない。

与えておけばびっくりするような使い方をするのも面白いし、
スマホの動画見ながら画用紙とクレヨンを持ってきて
お絵かきしたりするのにはびっくりした!

スマホを子供が持つのが悪いのか?

わからんなぁ。

ルシファー・エフェクトという本を見た。

ルシファーエフェクトという本を見た。
1971年のジンバルドー教授という社会心理学者教授が2週間の間
スタンフォード大学の地下に本物に近い監獄施設を作って
アルバイトの大学生18人を収容。
看守と囚人に分けてその心理状態を観察するという
世界一悪名高いと言われる実験。

映画化もされている

これは、死ぬほど厚い本で普通なら買おうとはなかなか思えないほどの厚さに見え
呼んでいる人も少ないんじゃないかと思う。レビューも少なめ。

しかしながら、これは昔から有名な実験で自分もこの実験の存在はなぜか知っていた。
でも、どのようなものかは知らなかった。

実験の予定は2週間だったが、実はこの実験。

わずか6日で中止となっている。

この実験を元に内容を過激にして映画化しているのが「エス(es)」という映画
結構楽しいみたいでレビュー評価も高い。今度見てみたい。

もう1本「プリズン・エクスペリメント」
こちらは実験を割と忠実に再現している感じでとてもシュールだそうだ。
レビューはあまり良くない。

本を見るのが面倒な方はこちらを見ると大体の内容を知ることができるだろう。

本を半分まで見た感想をざっくりと

実は私もまだ全部は見ていない。
図書館で借りたので来週までに返さないといけないのでがんばって読んでいるが、
全然ページが減らない笑

看守と囚人に学生を分けて本物さながらに監獄生活を送る。
ただし、暴力は禁止。

看守にはある程度どのように管理するかを自由に決めることができる。

結果

およそ36時間で
看守は看守の自覚ができ、囚人は囚人の自覚ができる。

3日目
囚人は仮釈放のためなら今までのアルバイト代を放棄して良いか?との質問に
多くの囚人が「少しの自由のためならお金はいらない」という結果になった。

5日目
かなり看守の虐待がエスカレートしていく。
囚人には失望感があるが、誰もそのアルバイト実験を止めようとはしない。

数人この間に釈放となるがほぼ、ストレス性の病気になって強制的に退場になるパターンであり、
誰も自分から正式にこのバイトを止めたいというものはいなかったのが興味深い。

そして6日目でこの実験が良くないと教授が奥さんに諭されて中止となるが、

結局、この教授自体もこの実験の魔力に取りつかれており、正常な判断ができていない
ということを客観的に振り返っている。

つまり、人は権力を持つと行使したくなる。
囚人は囚人で度重なる罰と嫌がらせを看守に受け、失望感が増し従順になり、
看守に逆らう囚人を恨むようにもなる。

印象深い言葉として

腐ったリンゴを普通のリンゴのカゴに入れると他のりんごも腐っていく。

と言う言葉があるが、この実験では

「腐った樽にリンゴを入れると、リンゴは腐っていく」

ということだ。

システムが人を悪にする。
権力が暴力をエスカレートさせる。

囚人は目先の自分の利益だけを優先して考えるようになる。
逆らうと毛布を奪われたり、睡眠時間を奪われたり、面会をさせてもらえなかったりする。
このために従順になる。

すごく人間の仕組みを知ることができて興味深い本であることは間違いない。

この本を読んで損はしないのでおすすめしたいところだが
見てて非常に疲れる本でもある。


その時間経過によっての心境の変化をそれぞれの人達が日記みたいに書き残しており、
その時どのような気持であったかがわかるので、好奇心満載で読むことはできる。

個人の資質か環境か?

私はタバコを吸う。

1980年には働いている男性の喫煙率は50%を超えていたのに
最近では30%程度になっている。

ハッキリとタバコを吸う人が嫌いだ!と言う人達も少なくない。

タバコについて何も言わなかった人達が急に嫌煙家になる時代。
私はなぜ人の意見がこうも簡単に切り替わるのかをずっと気になっていた。

第2次世界大戦では、戦争に徴兵されることを喜びとせねばならず
戦争に反対するものは「非国民」と言われ、周囲からも嫌われるし下手したら逮捕される。

このような通常考えられないようなことが普通に起こるのはなぜか?

その答えがこの本にあるように思えた。

人は1日半ですぐに環境に順応することができる。
そして3日も経過すれば自分の与えられた役割に自分が変化していく。
マインドが変化して5日も経てば、その考えはさらにエスカレートしていくということだ。

そこにシステムが加わることによって凶悪に人間を変化させることができる。

そして、その仕組まれたシステムに人間は抗うことは、非常に難しい。

これは、いじめられている現場を見た時にはっきりと

「それはダメなことだからしてはいけない」

などという学生がほとんどいないことからもわかる。

このような人物はまさしく「英雄」であり、
確率的にはほとんどそんな人はいないということがわかる。

人間がシステムの呪縛から抜け出すのは非常に困難だということが
ハッキリわかった。

人が残酷な決断を下すのは

その人個人の資質によるものか?
それとも、環境がそのような決断に至らせるか?

このような問いに答えを出してくれるのがこの実験の素晴らしいところだが、
もうこんな非人道的な実験が許されることはないとも思う。

一概に上記の問いに答えることはできないのは確かであるが

環境によって人は残虐になり得るし、眠っていた個人の資質が
環境によって呼び起こされるということもある。

しかし、環境やシステムに屈せず自分の意思を貫く「英雄タイプ」の人間は
少数ながらいるということも忘れてはならない。

このような人が革命を起こしたり、無益な差別を解決の方向に導くのだろう。


権力がなければ人をまとめることはできないが
権力は必ず「何か」をエスカレートさせる。

私は営業マンなので、この本は人の心理を知る上で非常に役立った。

本好きな人はお試しあれ!

私の時間というものは存在しない。「日々の時間」が大事っていう考え方

多くの自己啓発本を見た結果

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今までたくさんの自己啓発本を見てきた。
しかし、多くの本は私に一時的なモチベーションアップや小手先のテクニックを与えたが
そのようなモチベーションは長続きせず、小手先のテクニックのその場しのぎのものに過ぎなかった。
これは私自身が未熟で半端者であるということが大きい理由ではあるが、
人間の基礎力のようなものを成長させる上で必要なものって根本的に自己啓発本に書かれているようなことではない気がした。

格闘家が格闘技を通して自分の人生を考えるように
プロ野球選手が野球を通して自分の信念を構築するように

私もまた一応プロの営業マンであるので営業活動を通して人生を作ってきた。

昔から、一番すごい営業マンは布教活動をする「宣教師」だと思っていた私は、
宗教に強い興味がある。私自身は無宗教のつもりであるが、学びたいと思っている。

人はどのように考え方を変化させるのか?

これを最も得意とするのが宣教師であり、またこれを生涯の自分の使命だと
考えているのが宣教師だとすれば、彼らに勝てる営業マンはいない。

また、人間の根っことはどういったもので、何をどのように自分を変化させれば
自分は良い人生を送ることができるのか。これも宗教に深い関わりのある問いとなっているように思えた。

このような根本的な問いに答える自己啓発本は数少ない。
また、それが書かれていたとしても実践するのはさらに難しいものだ。

どれも当たり前に思えるような小さいことの積み重ねになってることがほとんどで、
考えて見れば当然のことしか言っていないようにも思える。見る角度によっては「くだらない」ことだ。

挨拶をしよう。
笑顔でマイナスに考えず前向きに
謙虚になれ
自分がされて嫌なことはするな

などなど

分厚い本に書かれていることでも要約すると基本的なお母さんに習うようなことが書かれてある。

結局一番重要なのは

「日々の心がけ」

「1日を自分なりに一生懸命に生き抜く」

こういったことだと学んだ。30代後半にしてやっと私は理解した。

仕事についての価値観もそこまで難しいことはなく、

昔から「仕事」というものはある。

奴隷は商品として扱われ一日中所有物として機械のように働かされてきたし
戦国時代は君主を変えることは命がけであり、信用に値しない人間のやることであった。
今の時代になれば、仕事は自由に自分で変えることができ、仕事を作ることだって簡単になった。

しかし、私は本質的には昔と今の仕事の在り方は何も変わっていないのだと思っている。

相変わらず奴隷のような働き方をさせる会社もある
失敗すれば命がどうかはともかく社会的な信用を大きく落とすような仕事もあり、
仕事がなくなれば死なないまでも、生きているという状態とはちょっと言い難い状況になる。

現在は生き方も仕事も多様化されていて、本質が見えづらくなっているけども
基本的に「人間」はあまり変化していない。
だからこそ、どのような人間がどのような生き方をして死んでいったのかを
年月かけて目を通すことでなんとなく見えてくるものがある。

庶民の時間の使い方

多くの、、、庶民と呼ばれているいわゆる「普通の人達」というのは
人生の多くは

「仕事」「食事」「睡眠」

この3要素から成り立っている。

この時間を自分の人生から引いてみてほしい。
どれくらいの時間が残されているだろうか?

学生であれば、起きて用意して学校行って帰ってきて、部活があれば部活をし、
家に帰って勉強をしている時間。これが「仕事」に値する。

社会人であれば、起きて用意して会社行って帰ってきて、スーツや作業着を脱ぎ
フリーになる時間。ここまでが「仕事」。

そう考えた時

私は7時に起きて準備し、夜8時か9時に帰ってきて食事をすると
すでに夜の10時になる。

お給料を貰っている間の時間というのは「私の時間」ではない。
労働力を提供して働いているわけなので、それは雇用主の時間だと気づく。

また、雇用主に時間を提供する準備をする時間というものがある。
歯を磨いたり、スーツに着替える。車のエンジンをかけるのもそうだ。
通勤時間もそうだろう。

「私の時間」などない

このように考えていくと

私の時間はどこにあるのか?

睡眠や食事もある程度はコントロールできるとしても
人間は睡眠とらないと死ぬ。
人間は食事をとらないと死ぬ。


よって、これは私の時間ではなく人間として必要な時間ではないのか?

私の24時間からこれらを引いていくと
私の時間は、平日はせいぜい2~3時間であることに気付く。少ない日は1時間満たない。


では、この数時間の「私の時間」

あなただったら何に使っているのか?

私は趣味のギター、ゲームをやったり、映画を見たりするだろう。

または、子供と遊んだり、妻の愚痴を聞いたり
家族に時間を割くこともあるだろう。

少ない私の時間を利用して友人と遊んだりすることもあるだろう。

これはなぜか?

日頃のストレス解消
惰性でなんとなくやっている。
仕事の疲れを癒すためにやっている。


仕事が休みになれば

買い物したり
母の家に行って面倒をみたり
子供と一緒に遊んだり

自分の思った時間を過ごし、また仕事に行く。

このような日々を送っているうちに思うことは


実は「私の時間」って、存在していないのではないか?

ってこと。

もし、「仕事」がなくなったら

私はゲームをずっとやるだろうか?
家族とひたすら過ごすだろうか?
友人と遊びまくるのだろうか?

もしかして、仕事があるからこのような時間を楽しむことができ、
このような時間を楽しむからこそ辛い仕事に耐えることができているのか?

そのように考えた時
なんか自分の中の考え方というかいろんなもの言葉の捉え方が変わっていった気がする。

何かをしたいと思った時、
より良い習慣を身に着けたいと思った時、

「自分の時間」でやろうとしてはいけない。

全て、、、全て!日々の生きている時間で行うべきだ。

ということに気付いた。

自分の時間なんてものは実は一切なく、自分の動きはほとんど日々の行動によって
制限されており、そこから出ようと思っても惰性の引力によって自分を変化させることが
できなくなっている。

「日々の時間」この所作が重要

だから気を付けるべき時間

自分をより良いものに成長させたいと考えた時
重要なのは

トイレに入っている時であり
歯磨きしている時であり
仕事している時であり
ご飯を食べている時である。

つまり、「日々の一つ一つの所作」これに気を払うべきなんじゃないかって気付いた。
ここを適当にする人間が、どんなにモチベーションうんぬん、スキルアップうんぬん言ったところで
自分の人生そのものをより良いものに変化することはできないのだろうと考えた。

行動に気を払うのもそうであるが
心の持ち方も日々、気を使うべきだ。

感謝すべきときに感謝をし、敬意を払うべきときに払う。
トイレに入っている時すらも謙虚になり、自分の心がけをキチっとする。

このような、小さな小さな1つ1つの行動、心の持ちようによって
人は変化し、より良い自分が目指す人間になっていくのだと思う。

これはわかっていてもできるものではない。

なぜか?

あなた(私)が心の底から「そうだ!」と思っていないからだ。

小学生でもどのような人間が素晴らしいとされているかくらい
実はわかっているのではないだろうか?

本当は本なんか見なくたってみんなわかっているはずなんだ。

ただ、できないから本を読む。読んでもなお、できない。

それは「あなたがそれを本当に良いと思っていない」からだ。

ここを強制するために

親が厳しく叱ったり、学校で先生に激怒されたりして恐怖で
無理矢理そのような振舞いをすることもあるが

自発的にやるのは大人でも難しい。

毎朝必ず早起きしてトイレ掃除しよう。

なんて思っても続かないのは
それが何よりも重要だとは思わないからだ。


だからできない。


これに打ち勝つにはどうしたらいいか。

あなた(私)にとって
やった方が良いことが本当に重要であり
それは仕事より重要であるとある種洗脳する必要がある。

自分で自分を洗脳する作業が自分を変化するためには必要だということ。
もう自分で自分をコントロールするためにはこれしかない。

あなたの持っている「価値観」を変えていく以外
あなたの行動は変化しない。

そしてあなたの心の持ちようも変化しないってこと。

トイレ掃除が自分にとって良いことだと思うなら

トイレ掃除が睡眠よりも食事よりも仕事よりも重要だと
本当に感じる必要がある。

それをやらなければ始まらないくらいの考えにチェンジさせて
やっとそれが行動になるってこと。


これはすごく難しいし、ある意味他人から見て一般的には気持ち悪いことだ。
洗脳とかマインドコントロールという言葉はあまり良い言葉ではないからだ。

しかし、必ず必要になる。自分を変化させようと思ったら従来の自分を捨てて新しい自分に塗り替える必要がある。

他人から言われてそれをやってはいけない。

だからたくさん悩むべきだ

「それが本当に自分にとって良いことなのか?」

と、考えに考え抜き、どうか考えても良いことだと判断したら
価値観をスイッチすべきだ。


まず、自分にとって良いことをリストアップしてみよう。

それができたらそれを覚えよう。

覚えたら、「やろうかなって思った時にやる」

これがとても大事だ。

3日で挫折したっていい。
また半年後くらいに「やりたいな。やるべきだな」って思ったら
その時点でまたやろう。

「やらないよりマシ」「明日やる」って言うなら「やらない」って言え!!

私が一番強く言いたいことは

「やらないよりはマシだ!」

ってことだ。

あなたが必死に考えてこれをやろうって思った「良い行い、良い習慣」

1度もやらなければ、1度もやらない人生が待っている。未来に。
もし、1度やれば、1度良い行いを実行した人生が待っているんだ。

だから重ねて言いたい。だらしがなく、何も長続きしない自分に。


「やらないよりマシだ!」「思った時にすぐやろう!」

過ぎた1日は戻ってこない。

「明日やる」

っていうくらいなら、「やらない」って言え。
どうせやらない。