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自由奔放なこのブログが一瞬でも役に立てば幸栄です

人生、何を残すべきか?

もうそろそろ40代になろうとしている自分がいる。
年月が進むのは早いものだ。

白髪も年々増えてきて、大好きだったゲームも、やる気力と集中力がない。

ふっと、思った。

人生、このまま終わるのはいかがなものか。

何か形になるものを残すべきではないか?
やり残したことがあるんじゃないか?

もちろん、日常の仕事や家庭に最低限の給料を捧げることは当たり前として
それ以外の時間を何に使えば良いのか悩んでいる。

私の人生で残すべき何か、やるべきことはあるか?


映画や音楽を聴くのもたまには良い。
ゲームも相変わらずやっている。
ギャンブルも好きでほとんど惰性ではあるが競馬とスロットをやっている。

プライベートの遊びなんて俺はその程度かな。

酒もタバコもやっているが浮気はしたことがない。
顔に自信があるわけでもないし、若作りもしていない。
何よりもう子供もいるのであまり興味もない。

そんなことよりも何か「没頭」したいという気持ちが
年々強くなってきている。

年を取っていくにつれて、楽しいと思えることがなくなっていることに気が付く。
20代の頃から少しずつゲームを長くやることもなくなってきたし、
友達とべったり遊ぶことも少なくなった。

さて、どうしたものか。

昔の偉人はどうだったのか?

何か死ぬ前に残したい。
そう思ったことはないだろうか?

自分の生きた証拠というか、何か作り上げたいという欲求がある。

だとすれば、他人はどうなのだろうか?

ちょっと調べて見た。とても参考になるサイトがあった。

meaning.main.jp


多くの作品を残したピカソ松尾芭蕉ミケランジェロ

こういった多くの偉人が今までに費やした作品への時間に後悔や虚無感を覚えている。

「無駄だった」

そう言っているように感じた。


ここには書かれていないことがある。

多くの作品を作ってきて、それが無駄であった。意味がないものだった。
それはわかったと。

では、「何をすればよかった!」というのだ。

ここに出てくる偉人の名言集?では、それにとって代わるものがない。

ピカソなんかは絵など人の役に立たないとか言ってるし、
夏目漱石なんかも今まで書いてきたことが無意味であると言っている。

もし、それが無意味なものであったなら、死を目の前にしたあなたは
何に価値を置いているんだ・・・と、問いたい。問い詰めたい。

現状は幸せなのか?

現状が幸せでないのならまずは幸せになるための努力はすべきだと感じている。

しかし、私は大きな視点で見るとすでに幸せだ。

仕事もあるし、家族がいて食べるお金も雀の涙ほどだがある。

特に不満もない。

しかし、何か一定の虚しさが心のどこかにある気がする。

そして、何かをやりたい。何か生涯かけて少しずつ積み重ねたい。
そんな気持ちになっているこれは何だろう?

死を意識する年頃なんだろうか。

心を満たすためにはあと1つ、何かの材料が足りないに違いない。

それが何かがわからない。

仕事以外、何かに打ち込んで没頭したい。

これは今年の一番の悩みにしておこうと思う。

「何をやるべきか。何を人生で残せば良いのか。」

お金がたくさんほしいとも思わない。普通に生活できるだけあれば良い。

わからないけどきっと、くっだらないことに
没頭できれば良いのではないかなと思う。

図書館で何かの成分とか調べてこようかな。わからないけど笑

できれば没頭できることが仕事に少しでも関わりがあって、お金になって、
心を豊かにするものであれば最高だ。

そんなものはないのだろうか。

きっとこれは昔の人々の死ぬ間際、往年の話しを良く聞く。
お年寄りの昔話や今の気持ちに耳を傾けるとヒントが見えてくるんじゃないかと思う。

うん、そうしよう。

昔の人々の往年、何をやっていたかを調べ、今のご老人に今の気持ちと何をすべきかを
聞いてみよう。

よし、今日はこれで解決としておこうか。

もし、人生に悩んだら、立ち止まってないでとにかく行動すべきです。
時間は有限なのだから。

学校の教育では必要性を教えるべきでは?

昔からずっと思っていることがある。

私は大した高校も出ていないし、大学へは行っていないので
大学あたりでそういった学校の勉強に対する必要性を教えてるのかもしれない。

でも、意味がわからないとしても

なぜあなたは勉強する必要があり、
なぜこのような学問があって
どのような起源でこういう勉強が存在しているのか?

こういったそもそもなんで?っていうようなことの理由を教えてほしいと思っている。

なぜなら、私は中学校2年生まで1+1=2がよくわかっていなかった。

なぜ1+1は2になるのか?
そもそもこの「計算」というのはどこからきたのか?
これを覚えることで何が得られるのか?
この算数はどれほどまでに素晴らしいものなのか。

これが理解できないとそもそも覚える気にもならなかった。
昔からずっとこれが気になっていて、覚える必要なんか本当はないんじゃないか?
そう思っていたからだ。

そもそも1+1=2は、2になるのか?
これを私は確かインターネットで見たような気がする

ああ、こんな感じ

www.youtube.com



ハッキリ言って、私は算数は苦手だ。
お金の計算する仕事についているので多少の金勘定はできるものの、
サッパリ難しいことはよくわからない。

従って、これを見たところでサッパリわからない。

matome.naver.jp



しかし、こういったものを
「見ておく」
「聞いておく」

これが大変重要だと思うのです。

なぜならば、これが1ミリも理解できなかったとしても

私がこれから学ぶものは
大変な過去の天才が生み出した英知であるということ。

これらを学べば、もしかしたら未だ未解決な問題も解決できる可能性もあるということ。

とにかく

「必要なんだ!」と思える。
学ばないといずれ「後悔」するかもしれないと思える。

これが非常に私にとって重要だった。

これに気付いたのは高校生の時だった。

学校の先生が数学マニアみたいな先生で、
数学が好きだという変わった人であった。

中学校でやった公式の証明を1時間私にきっちりと説明してくれた。

正直高校レベルのものではなかったので
サッパリわからないかったし、それで
私が数学に燃えて勉強することもなかったが、
数学は好きな人には楽しいのかもしれないと思えたし、

数学が世の中に必ず必要な物だと思えた。

これは国語や理科社会なんかでも同様で、
必ず学ぶべき理由があり、その学問の発祥があるはずだ。

これらを小さいうちからしっかりと教えてほしかった。

私の子供にはこれを私が調べて教えてあげようと思う。

必要性を理解した上でそれでも勉強をしないのなら
それもいいと思っている。


しかし、勉強の必要性を理解しないのに勉強をしないっていうのは
これはやっぱり後悔を生んでしまうような気がする。


また、今後の学校教育では、道徳の時間が少ないと聞いている。
是非、学校で宗教を客観的に見て掘り下げたような授業をやってほしいかなと思う。
まぁ、これは多分無理があるだろうが・・・。

社会人になってからいろんな本を見たりインターネットで動画やらブログやら見ていて
本当に私は知識がなかったなと痛感する。

俺はほとんど何も知らないし、何もできない。

これからの若い人達には
私のようにならないように

なぜ勉強しているのか?
あなたの学んでいる勉強はどのようなものなのか。
その勉強はどこから来たのか。

といった、根本的な疑問にぶつからないようにしてほしい。

今はインターネットがかなり普及しているから自分で簡単にある程度の
概要は調べることができる。

その情報が本物であるかどうかということは別として
どこで「自分の知りたい情報が手に入るか?」

これを抑えておくことが今の時代重要なのかもしれない。

いきなり問題を押し付けるような勉強方法ではなく、
なぜ、それをやるべきなのか。やらなければならないのかを
教えたらいいのになぁと思うんだよね。

親に聞いたって
「良い学校行けなくなるから勉強しろ」とか
友達に聞いたって
「周りがやってるから俺もやるー」程度の動機で
勉強することになる。

だからきっと裕福な家庭が一流の先生を付けて学ぶと
そういう勉強の素晴らしさが生徒にも伝わって
自発的により良い学習ができるのかなぁと。

環境ってとても大事だなとこの年になって痛感しますね。

もちろん、自分次第だと思うしそこに気付けてこなかった私が悪いわけだが笑

私のように1+1がわからないと先生に食ってかかるような偏屈な人はいないと思うが
もし、俺と同じような考えをしている人がいたら、是非面倒がらずに調べて見てほしい。
スッと「腑に落ちる」はずだ。

なぜ、それはあるのか?
なぜ、それをしなければならないか?
それは、どこからきたものか?

根本的な疑問を解決しよう。
これが自分なりに納得出来たらやる気も湧いてくるってもんだ。

「君が代」の本当の意味とは?

先日、君が代の本当の意味という動画を見て感心したので共有しておこう。

www.youtube.com

君が代」という歌の原点

君が代は、最近作られた歌でもなければ、国家として誰かが作曲したような代物ではない。
君が代は、1000年以上昔に多くの日本人に好まれて愛された歌とのこと。

古今和歌集やいろんな歌集に掲載されており、貴族や大衆に広く愛された歌だというのは
間違いなさそうだ。

そんな「君が代」の歌であるが、最近では「天皇崇拝の歌だ!」だとか、「独裁に繋がる歌だ!」
とか批判があり、かくいう私も

天皇陛下を敬うような歌だなぁ。というイメージでこれまで生きてきた。

しかし、上記の動画を見るとどうやら違うらしい。

君が代」とは一体どういう意味か?

君が代」の「君」とは、はるか昔は「男女」を指す言葉のようで、
イザナキとイザナミの神の後ろの言葉「キミ」(男女)という意味だそうだ。

これは本当かどうかちょっと怪しいと感じた。

しかし、

この歌が作成されたとされる時代は室町時代であり、誰かを畏敬の念の込めて言う言葉に「君(キミ)」という表現があり、
〇〇ノ君とかそういった名前が多くあることから、

自分の尊敬できる人。
美人。
すごい人。

などなど、そういった尊敬できるような人達に名付けれられているそうだ。

「代」というのはその時代のこと。年代というべきか1代、2代といった年代観のことだと思う。

まとめると、「君が代」とは、


私が尊敬している人の世界(時代)

ということだと解釈した。

「千代に八千代に」とはどういう意味?

「千代に八千代に」というのは、この世の中が1000代も8000代も...と言った意味合いで

簡単にすると「永遠に」って感じのイメージ

君が代
千代に八千代に


ということは、

自分の尊敬できる人が治める時代が永遠に続く

という解釈。


「さざれ石のいわおとなりて」の意味は?

「さざれ石」とは、日本特有の小石のことらしく、詳しいことはわからないが、
大陸のプレートの間に挟まった小石が固まったもの?みたいな感じらしい。

だから、

さざれ石のいわお(巌)となりて

これは、小さい小石が集まってそれが大きな山となって・・・。

みたいなイメージ。

こけのむすまでの意味は?

こけというのは苔、で川辺とかに生えているアレですね。
「むす」は、生す。(育む)育てるのような意味です。

つまり、苔の生すまではとは、

苔が育つまで

このような意味になる。

まとめ


私なりの簡単な解釈は

君が代
千代に八千代に
さざれ石の巌となりて
苔の生すまで


私の尊敬する人の治める世界が
永遠に続き、
みんな力を合わせて大きな力とし、
我々の未来を育てていきましょう。

こんな感じなんじゃないかなと思います。


もっと詳しい解説は上の動画で見れば
なるほど!と言ったことが書かれております。

君が代のイメージが変わったし、すごい良い歌だなぁと感心したので
是非、書いておこうと思う。

日本最高!


ps:
この動画を見た後に、フランスの国家を聞きました。
ちょっとあまりの文化の違いにびっくりしました笑


やっぱ日本はおごそかな感じで風流な感じしますよね!それでは!

基本の挨拶だけで相手を変えていこう

挨拶だけで相手の気分を上げる

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挨拶というのは非常に大事なコミュニケーションツールだと思ってる。
本当に大事。

コミュニケーションの基礎になる部分で

・おはようございます!お疲れ様でした!
・はい!
・ありがとうございました!

これを丁寧にきっちりやっていくことで相手の気分を上げることができる。

最近、もう一度自分の挨拶の仕方を見つめてほしいんだ。

コンビニの店員からおつり貰った時、
よく考えてみると私はずっと「どうも・・・」を多用してきた。

これは良くないと思った。

「ありがとうございます!」

最近はこのように言っている。

コンビニの店員からおつりをもらうという作業があまりにも当たり前になりすぎていて
感謝なんて1mmもない。

忙しい時なんかは無言でおつりと商品を受け取ってそそくさとコンビニを後にしてしまう。

これは良くないことだと思い直した。

子供が少しずつ大きくなってから気付いたことだ。

そのコンビニで話した店員が誰かの親で
幼稚園や小学校で一緒になるとしたら・・・。


あなたは誠実が挨拶はできているか?

私は外ではいい顔して、コンビニの店員には無言で感じの悪い客になっていないか?
人の縁というものは、どこでどうなるかわからない。

もしかしたら未来の彼氏彼女の親かもしれない。
重要な顧客となる奥さんかもしれない。


そんなことを考えると、「どうも」の一言でやりとりを片付けてはいけない。

できるだけハッキリとした口調で「ありがとうございます!」と言い、
軽い一礼と笑顔でおつりや商品を受け取らないといけない。


それだけで相手は感じの良い客だと思ってくれるし、
相手の気分も良いってもんだ。

そして別にこのことに関して私自身の大きな努力も要しない。

ささいなことかもしれないが、これはとても大事なことだ。

これは「習慣」の話しなのだから。


私は店員でも誰でもなるべく誠意をもって挨拶、対応をすることにした。
もちろん、言うべきことは言わねばならないし、相手に対して不快であれば
それを伝える必要はあるかもしれない。

でも、喧嘩腰で恨んでもそれはしょうがないことだ。
そういう人もいる。それを変えることは私にはできない。

最近は、スーパーやコンビニでも対応の良くない店員も目立つが、
それはそうとして、なるべくこちらから笑顔で丁寧に接した方が

結果的に、私にとって得になる。そんな気がする。

人は挨拶が変化するだけで相手もおのずと変化していく。

良い挨拶をたくさん受けると人は気づく。(無論、一生気付かない人もいるのも事実だが)


気分がよくなり、自分も笑顔で挨拶しようと思うものだ。

人を変えるにはまず、自分からって昔の人がよく言ってた。


ありがとう。
はい!わかりました。
おはようございます。

このような基本的な言葉をどのような表情でどのような声のトーンで言うか

こういったところまで考え、誠実に丁寧になるべく全員にしていくことで
また、より良い未来が待っていると信じている。


人にきつい忠告をしなくたって

笑顔ではっきりと挨拶するだけで、人は変化していく。少しずつ。

もし、それでなんとなく周りの状況が良い方向したなら・・・。

それは相手ではなく、自分がよくなっているなによりの証拠だと思う。

当たり前のことほど大事。

4ぽう良しなら必ずやった方がいいよ

4方良しとは?

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昔から「三方よし」という言葉ある。

3方よしとは

①自分から見て良いこと
②相手から見て良いこと
③世間から見て良いこと

このことを「三方よし」と言う。

これは商売の基本とされ三方よしなことは実行すると良い結果が生まれるとされている。

www.itochu.co.jp

これね。

しかし、私は「4方よし」をおすすめしたい。

4方よしとは

この三方よしに、

④天から見て良いこと
を付け加えたい。

商売でもプライベートでも4方よしになった考えや物事は必ずやった方が良い。
それが結構辛いことであったとしても、無理してでもやった方が人生うまくいくよ。

ということを言いたい。

「天から見て良いこと」というのは

自分が信じている神様から見ても良いとされることって意味で
世間が「地」なら天は「神様」みたいな感じかなぁ。

相手にメリットがあって、自分も得をする。
世間にもそれなりの効果があって良いことのように見えても、
天(神様とか道理とか)からみてあまり良くないことって


結構あるんだよね。

だから4方よしになることは、あまりないと思う。
でも、発見したら必ずやった方がいい。そんなイメージ。

それがどんなことかなかなか言葉で伝えることが難しいけど

4方良し!の例え話

例えば商売で例えると

100円の商品を400円で販売したいとする。
相手は500円でその商品を購入してる。
これが400円で販売できれば世間としても悪くない。
500円で購入している販売店のコストカットを実現できるから。

しかし、そこをあえて200円くらいで販売してはどうかと検討し、
それができると判断した場合。

あえて、200円で販売するって感じかなぁ。

大体の場合はこれをやると自分側が不利になるんだけども
100円のものを400円で販売するということは、ちょっと罪悪感というか
私の天から見てちょっとやりすぎな感じがある。

そこで、200円で販売してもきちんと適正利益がでるような方法がないかを考えてみて
例えば、違う商品もセットで販売してみるだとか、誰かを紹介してもらうとかして個数を売ること考えるとか。
そんなイメージ。

滅多にないんだけど、一生懸命考えているとたまに
そういったうまい方法が見つかることがある。

その方法を見つけてしまった場合。

必ずやった方がいい!!

ってことなんだ。


その効果は絶大なものになると信じてる。


①自分から見て
②相手から見て
③世間から見て
④そして自分の信じる神様から見て

恥じることなく、堂々とみんなにメリットが提供できる方法。

もう、やるしかないでしょ?

そのせいで自分が辛いことになったとしてもそれはきっとみんなのためになる。

そう思う。

まず、三方良しを考える。

そして最後に「私の神様もこのことを喜んでくれるだろうか?」
なんて自問自答してみると良い。

1つでも多く、この方法を見つけることができたらそれだけ自分が人の役に立ち
堂々と世間に存在することができるんじゃないかと思っている。


もちろん、商売だけでなく、友達付き合いや夫婦の間の物事でもそうだよ。

自分と相手だけじゃなく、人様から見てどう思うか?
人の道としてどうか?

ということを考えることで客観的な意識が鍛えられるんじゃないかな。

何かするとき、ちょっと考えてみて。絶対に4方よしは・・・素敵だと思う。

サピエンス全史が売れてるらしい

サピエンス全史という壮大な本

サピエンス全史上下巻という本がある。
読んではいないがyotuubeでいろんな人の動画を見て大体の内容は把握できた。

この他にハラリさんの書いている本として

「ホモデウス」「21フォーチューン」だっけな?そんな本がある。
いつか読んでみたいなとは思うが、なかなか分厚い本なので躊躇している。

大体の内容を知るためにはコチラ

オリラジ中田さんのyoutubeがいい。

www.youtube.com


内容をざっくりいうと普通の歴史の本ではなく、
人類の最初から現在、さらには未来までの道のりを書いた本。

人間はサルから徐々に進化したわけではなく、

いきなり、現在の人類種として生まれてる点が新しい発見だった。

人間はウソ(創造)を言葉にする技術があり、さらにはそれを「信じる」ことができる
これによって他の動物にはない程の集団を作ることができるそうな。

なるほどなと思った。

神っていうのは人間にとって必要なのかもしれないなと感じた。

私は特に何も神様は信じていないが

イスラムだろうとキリストだろうと仏教だろうと
なんだって構わない。

それは良いことだなぁ。信じた方がお得だなぁ。
そう感じたらその教えは信じるし、

ちょっとそれはどうだろう?よく意味がわからないな。
そういうものは信じてない。
豚肉を食べないとか、左のほっぺ殴られたら右のほっぺ出せ!とかね。

そういいながらドンパチ宗教戦争してるんだからよくわからない。

そもそも神と神がぶつかって人間を戦わせているんだから
本当かよって思っている。

神様って無に近い存在だと思うんだが

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もし、神がいるのならそれはきっと「無」なんじゃないかって漠然と思う。
何も教えないし、何もやらない。そういうもんじゃないかな。

宇宙がビックバンでできたのなら

そのビックバンを「無の状態」から生んだ「何か」
そのはじまりというか無から有の状態に変化するその原因を作った分子、因子?
そんな感じのものが「創造主」ってやつなんじゃないかなぁと思ってる。

しかし、それだとつまらなすぎるし、有難い説法をすることもない。
それを知ったところで何の役にも立たない。

だから道徳や倫理を知るということならイスラムやキリスト仏教みたいなものでした
学べばいいのかなって思う。

お坊さんの話しはいい話しが多いと思うし、
キリスト神父さんも良いこと言っている。

良い教えはどんどん気にせずに取り入れていけば良いんじゃないかと思う。
自分が幸せになったり、迷いを払ったり

役に立つことはどんどん吸収していこう!

その方が正しい宗教は何か?ということを考えるよりも楽ちんだ!

サピエンス全史は哲学的なことも書かれているし、人類、ホモ・サピエンスの歴史という捉え方で
全体が書かれておりとてもおもしろいそうですよ。本は見てないけど。。。

人間は想像し創造するのが人間がもつ特殊能力のようなものだとしたら

この力を十分に使うためには「信じる心」「何かを考える想像力
これらが生きていく上で重要ってことになるんじゃないかなと思った今日この頃。

ブログをやった結果どうなったのか。

2019年のブログをやってみた結果どうなったか

ブログを半年くらいの間やってみた結果、私には向いていないということがわかった。

やっぱり毎日更新しないといけない。何かネタを見つけてまとめないといけない。

これはとても大変なんだなということがわかった。

ブログで少しでもお金を得ることができればいいなと思って始めたものの、
やっぱり中途半端な覚悟では続けることができない。

「お金以外の何か」

これが必要だなと感じた。

「書き続ける」というのは書くのが好きな人や本気でブログ取り組んでみようという人以外は
1年間やり続けるのも至難の業なのではないだろうか?

しかし、ブログの更新をやらなくなって有料ブログも手仕舞いし、今更になって何か書きたくなって
こうして今、書いているわけなんですけど、本質的にはブログというのは楽しいものなんだと思う。

たくさんの人に見られることが目的で作ったりするのも結構だが、
自分の好きなことをただ書いているだけでもストレス解消になるかもしれないし、

「自分の何かを残す」

ということにもなるのではないか?そう思う。

もし、ブログをまたやったことない人がいるのであればチャレンジすることは
おすすめできる。

とても勉強になるし、難しさを知ることで人のブログの出来不出来を評価することもできるようになる。

判断基準ができるのは良いことのように思う。

ここからはこの無料ブログを使って
自分の好きなことを書こうと思う。

見られる層のターゲッティングやウケる文章を狙うのではなく、
ただただ、好きなこと思ったことを好きなときに書く。

これで良いと思う。
もう収益云々は気にしない。

私には娘がいる。

その娘が大きくなったとき、このブログが存在していれば
何かのキッカケで読んでもらえたらいいなと思う。
私のやったこと、考えてきたことが少しでも理解できれば
少しの思い出にもなるのではないかな。

さらに、ブログに書いて自分の考えをまとめることでなんらかの自分の変化に期待しよう。

何事も継続できる方法、自分なりの楽しみ方を持って、
仕事も遊びもやりたいね♪